【毒親育ち宗教2世】 強要・支配・過干渉から脱出した (後編)

海と夕日

宗教2世の私が、毒親とどのような関係で今に至るのか、長くなりますが読んでいただけると嬉しいです。

■ 【毒親育ち宗教2世】 強要・支配・過干渉から脱出した (前編)


前編を書き終えた後に、すぐにでも書くつもりでいたのですが、
ポジティブなお話ではないですし、
書いていく上で、気持ちが楽になる部分ももちろんあるのですが、
また辛かった事を思い出すことにもなり、
多少なりともパワーが要りまして、、、
でも、それを乗り越えて、
真正面から向き合って行くことこそが、
私らしく生きていき、自立に繋がるのだと思い、
また続きを書かせていただきます。

目次

【毒親育ち宗教2世】 強要・支配・過干渉からの脱出 (後編)

就職を期に家を出る

母の望み通りに私は就職先もそこに決め、念願の家を出ることができました。

何より母に反対されるどころか大喜びされ、家を出る事ができたことに安堵しました。


家からは、衣類、靴、洗面具、タオル、布団、お箸、茶碗、丼、お皿、を載せた車で、
兄に私と一緒に送ってもらいました。

本来ならば、涙のお別れなのでしょうが、
私は夢と希望と嬉しさで、胸がときめいていました。

覚悟はしていた宗教団体の寮での孤独との戦い

会社の寮は、古い一軒家で4人での生活です。

2歳年上の先輩、高卒で私と同時に入社してきた2歳年下二人、
そして私の4人での生活が始まりました。

夕食は二人ずつの当番制です。
会社と寮とは徒歩10分ほどの距離で、
仕事終わりに当番の二人で一緒に途中のスーパーにより、
材料を購入して作ります。
費用はその都度食べた人の人数で割ります。

それは良いのですが、皆んなは早朝に起床し
お経が始まるのです。
私一人おちおち寝ていられないので、一応同じ時間に起床しますが、
お経はさすがにあげれませんでした(笑)
ゆっくり身支度していました。

話題も新興宗教中心で当然ついて行けませんでした。

会社の仕事内容は一般的な商社と変わらない業務だったのですが、
社長をはじめ、社員全員が信者達の、
一種独特な雰囲気の中、会社内でも孤立していました。


しかし、自分とゆっくりと向き合う時間があり、
邪魔をされない生活をやっと手に入れられました。

実家からは電車で2時間ほどの距離なので、
たまに昔からの友人に会う事もできましたし、
楽しみの一つでした。

そんな孤独な生活でも、母からの毎日の強制、過干渉、束縛から開放され、
自由になれた事は、とても幸せでした。

私と似ている境遇の方の YouTubeです。
脱会した時の状況を、もう少し詳しく知りたいです。↓

結婚を期に新興宗教を脱会するという一大決心をする

会社勤めも数年が経ち、
寮を出て、一人暮らしを始め
しばらくした頃に、会社に出入りしていた夫と出会い
結婚する事になりました。

私が高校の頃、付き合っていた彼氏のお母さんに、
母が私に無断で新興宗教の勧誘をしたこともあり、
夫と夫の家族に迷惑をかけたくないので、
ここで、「新興宗教を脱会する」という
私にすればとても勇気のいる一大決心をしました。

実際には家を出てから宗教活動は何もしていなかったのですが、
母は知る由もなく。

そんな母に、脱会を告げるのは、とてもパワーが要りました。
でも、意を決して言いました。

私、新興宗教辞めるから!!

その後母はいつものように、
「いったい誰が育ててやったと思ってるの!
あんた育てるのに、どれだけお金かかったと思ってるの!」

から始まり、
「もお結婚するんやし、あんたの事は知らんからね!
うちとは関係ないからね!」

他にも何か喚いて怒り心頭し半狂乱になってましたが、
私はずっと長年の間言いたくて言いたくて仕方なかった事を、やっと言えた開放感で、
気持ちがフワ〜っと放心状態になり思考停止し、
その後しばらくの間の事は、何も覚えていません。

孫は可愛い

私は結婚して、会社も辞め
一人暮らしをしていた近くで、夫と夫の祖母(認知症要介護5)と同居する事になりました。
わけは長くなりますので割愛します。

あんなに半狂乱にまでなっていた母ですが、
私に子供ができるとやはり孫は可愛いく会いたいらしく、
子供が小さい頃は、年に1〜2回は実家へ孫を見せに行ってました。

孫を見たいので、来いこいと言うのですが、
行っても食べ物を用意していたり作るわけでもなく、
調味料や道具さえ揃っていない実家で、
私が近所のスーパーで買い物して料理するか、
もしくは近所の某ハンバーガーチェーン店に食べに行くかでした。

かわいい孫の為に、ご馳走を作って迎えよう!
なんて気持ちは1ミリもない人です。

子供が小さい頃はそんなにたくさんの量を食べないですし、
それで何とかまかなえたのですが、
だんだんと子供も大きくなり、
お正月など、うちの家族4人と兄の家族3人(一人息子うちの次男と同い年)も加わるとそんな事をしてられないので、
毎回、鍋の道具や材料一式を私が持っていき作る事が恒例になりました。(ここ数年前まで)
しかし兄の奥さん(義理の姉)と母とは折り合い悪く、
約10年くらい前からは、お互い会わずに連絡も取りあってません。
いわゆる絶縁状態です。

離れていても、母からの支配、圧力、呪縛が解けない

私は息子が中学生になった頃から、パートに出るようになりました。

百貨店での販売のお仕事をしていた時期です。

夜、母から「親戚が亡くなって明日新幹線で田舎に帰らないといけない。
お金が無いから10万円貸して欲しい」
と電話がありました。

お金の用意はできるものの、私は翌日朝からパートと伝えると、
「百貨店まで取りに行って、その足で田舎に帰る」
と母は言いました。

翌日、お金を用意し百貨店で勤務していましたら、
携帯に母から電話がありました。

「今から新幹線乗るから、✖️✖️時△△分◯◯駅の改札までお金持ってきて!」

はぁ??

私が返事する間もなく、電話はきれました。

ちなみに母は携帯電話は持っていません。
まだ母が60代の頃持たせて何度か使い方を教えたのですが、いっこうに理解する事ができず、
無駄なので解約しました。

どうしよう、、、
取りに来るんじゃないのか、、、

悩んでる時間はありません。

恥ずかしい話ですが、直ぐにこの日一緒に勤務していた店長に説明し、
無理を言って職場を離れ、慌ててタクシーを飛ばし◯◯駅に向かいました。

なんとか時間に間に合い、予定時間に母は現れました。


「ありがとう!」と一言いうと、お金を受け取り、足早にまたホームへと去っていきました。

その後ろ姿を見て
「この人が私の母親なのか、、、」
と思うと、涙が溢れ出てきました。
堪えても堪えても、止まりません。

しかし早く職場に帰らないといけないため、
泣きながらもまた急いでタクシーに乗り込み、職場に戻りました。

往復約1時間半かかったため、店長のお昼休憩の時間も遅くなりました。

本当にご迷惑をおかけし、申し訳ない気持ちでいっぱいでお詫びしたのですが、
店長はとても良い方で、「全然気にしないでいいですよ!大変でしたね!」
と優しい言葉をかけてくださり、またその言葉で涙が出てきました。

その後、母に10万円返して欲しいと請求しても、
またいつものごとく
「誰に育ててもらったと思ってるの!!」
と言われ、結局戻ってきませんでした。

新教宗教にハマった母の自己中心的な考え方

ある日、母から
「あんた!Y君のところにお礼の電話しといて!」
と電話がありました。

Y君? 誰?

たずねると、
宗教活動の為に電車に乗るのに、
いつもは自転車に乗って駅まで行くのですが、
雨が降っていた為、自転車に乗れなかったので、
Y君のところに電話をして、Y君のご両親に車で駅まで送ってもらったと言うのです。

Y君とは、私が小学校1〜2年の頃同じ組になった事はあるものの、
全く交流もなく、顔も思い出せないですし、
もちろん親同士も、なんの接点もない方なのですが、
母は、個人情報保護の規制が無い時代の、私の古い名簿を見つけ、
電話をして送ってもらったと言うのです。

なぜ?そこでタクシーを呼ばなかったのか、、、

なぜ?よりにもよって、なんの交流もない私の約50年近く前の同級生に
いきなり電話をするのか、、、

私には全く理解できません。

母にたずねても「雨が降ってたからやないの!」と怒って返事をします。

とりあえず、お詫びとお礼のお電話は入れさせていただくと、
とてもお優しいかたで、
「いえいえ、突然ビックリしましたが、雨が降っていて自転車に乗れずお困りだったので」
とおっしゃっていただきました。


母からは、お礼とお詫びを何かしたのか心配になり
本人に聞くと

「そんなの缶ビール2〜3本渡しといたらいいんよ!」
と、心ない返事でした。

「Y君のご両親は、ビール飲まれるの?」
と聞くと、

「そんなの知らんよね!飲むんじゃないの!」
との返事でした。

全く会話になりません。

後日、幼なじみの友人に、Y君の家を教えてもらい、
お詫びのお菓子を持っていきました。

ちなみに、母はビールすら渡していなかったようです。

まだまだエピソードはありますが

まだまだ色々とありますが、

長くなるので、一応母との確執の話はこのくらいにしておきます。

近頃は、認知度も落ちてきているので、
また別の問題として改めて書かせていただきます。

今、とても辛い方へ

辛いのに一人で頑張ってて、偉いですね、、、
抱きしめたいぐらいです、、、

もし、私と同じような境遇の方がいらっしゃいましたら、
子供の頃は逃げ場がなく、辛いと思いますが、
どうか今を耐えて、お友達や勉強、スポーツ、音楽、好きなことにに気持ちを向けてください。

私は外では明るく、よく冗談を言ってふざけたりしてました。
辛い自分を隠していたのですが、
そうして、自分を誤魔化したお陰かわかりませんが、
それが私の性格の一部になりました。

誰にも相談できず、辛いですよね、、、
本当によくわかります。

でも、今の状況が、四六時中、一生続くわけではありません。
自分次第で明るい未来は必ずやってきます!


決して投げやりにならず、
自分はどんな人間になりたいかをよく考えて、
それに向けて努力してください。
自分を大切にしてください。


そして自分で生きていける歳になったら、
逃げてください。
離れてください。


自分らしく生きてください。

自分の人生を生きてください。

〜最後まで読んでいただき、ありがとうございました〜

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